昭和のおじさんにはならない。平成のポストおじさんvs令和
私は平成生まれで、平成という時代を生きてきました。
そこに意味はなく、生まれながらにして当然のことでしたが、来る5/1に目に見える変化が否が応でも訪れます。
その時、何を思い、何を考えるのでしょうか。
・人生で初めて感じる「次世代」への畏怖
平成に生まれ、同一の平成という時代を生きてきました。
そこに違和感はなく、特に考えることもありませんでした。しかし、5/1から生まれた時代と過ごす元号が異なる時代が到来します。
特に元号が変わることには正直、特に思うことはないですが、嫌でも令和に生まれる人間がいるということをまざまざと見せつけられるというワクワク感、恐怖感を感じてしまいます。それは何故か。今の私たち(平成生まれ平成育ち)が感じる大人たち(昭和生まれ平成育ち)への感情に近いものを抱かれるからではないでしょうか。
・「平成世代」から見た「昭和世代」
いわゆる「おじさん」世代への違和感が挙げられます。(ここでは象徴としておじさんと述べる)
昭和の世代に看過されていた各種ハラスメントや男尊文化、その他「ダサい」と思う出来事を感じます。何故そのようなことをしてしまうのか?嫌がる人がいるのではないか?と思っていましたが、元号が発表され、「おじさん世代は環境に許されていたから意識しないと変え難いのではないか?」と感じるようになりました。つまり環境の変化に全くついていけていない。脳が追いついていないような印象です。
ただし、おじさんが一概には悪いとは言えず、その状況が昭和時代には当たり前であり、徐々に変化する時代に咎める人もいなかったという不運も孕んでいると思います。
おじさんにまつわる悲しい記事はゴマンと出てきます。
おじさん批判ではなく、近い将来、自分もなるので自戒を込めての表現です。
・時代、性別、国籍が関係なくなる時代の到来
話を今に戻しましょう。
そうなると、令和が訪れると我々はどうすべきなのか。
ただ過ごせば良かったものが、時代に対応しなくてはいけない時代になると思います。
生まれながらに当たり前だったものが、崩れるという恐怖。新しいものに触れられるという喜び。その双方が渦巻く、ドキドキ感に包まれています。世代が環境に左右されるとすれば、これからは「何も関係ない時代」が来るのではないでしょうか。metoo運動や荒木経惟、会田誠といった芸術家への批判、ハラスメント対策や禁煙推奨など、30年前では考えられない出来事が増えてきています。
「大原さんによると、会田氏は遅刻したうえに酔ってロレツも回らず、下ネタを連呼」
— 会田誠 (@makotoaida) March 4, 2019
あまりしつこく言いたくないけれど、こちらが黙っているとこういう言葉が既成事実として一人歩きするので(もうしている)、簡単に反論します。
遅刻した事実はまったくありません。(続く https://t.co/BKSXYooIL4
・平成生まれが変化しなくてはならないこと
喫煙率も低く、ハラスメントにも馴染みのない平成生まれの最大の課題は「無関心」だと言えるでしょう。
興味のなさは、興味を持たせづらい時代の影響かもしれません。
その中で、時代に反していることを認識できるか、見て見ぬ振りをするかで、評価が変わってきます。人に迎合する必要はありませんが、共同社会という目を持つことは必要でしょう。
もしかしたら、「平成はサービス残業もしないので有り得ない」「飲み会に全然来ない」など、昭和世代と一蓮托生で責められることになるかもしれません(そんなことはないはずですが・・・)。
どんな社会であれ、自分のアイデンティティーを確立しないと、何もやることがなくなる(やらなくて良い)人生になってしまいます。時代の変化に対応しつつ、自分を保つことはある意味では難しい世の中なのかもしれません。
今週の一曲
柴田聡子/後悔
(from INO)
1992年生まれ、東京都在住。社会福祉学、統計学を専門とする。世の中の事象を社会福祉の目線から観察し、社会に貢献する機会と転職の機会を伺っている。最近は犬がめちゃくちゃ好き。
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