ごみ拾いなんかしたくない

桜の見頃も終わりましたね。筆者はブルーシートを敷いてお花見をしている人たちを横目に通り過ぎるだけでしたが、それでも満足できるくらい桜は綺麗でした。

今回はそんなお花見のイベントの後に必ずと言っていいほど話題になる、「ごみ拾い」についてです。


・もはや風物詩「ごみ拾い」

お花見に限らず、花火大会やらハロウィンやら、季節イベントの風物詩とも言えるようになってきました。

いつぞやのワールドカップでは、日本人はごみをキレイに片付けたとい記事がありました。しかし、花見や海水浴の後など、イベントの後にはごみ袋を並べたボランティアさんがSNSに写真を掲載していることが絶えません。最近ではごみ拾いをした後の写真をアップするためのアプリすらあります。


・ごみ拾いだけでは解決しない

ボランティアでごみ拾いをすることで街を綺麗に保つボランティアさんには頭が上がりませんし、筆者も気が向いたら街中のごみを拾ったりしています。

しかし、ごみ拾いをすることは問題の解決には結びつきません。問題は、街中にごみがあること、ではなく、ごみをポイ捨てする人が存在していることにあるからです。

本来、街中にごみが落ちていなければ、ごみ拾いをする必要はありませんよね。


・なぜ人はポイ捨てをするのか

ここで、ポイ捨ての原因は、ポイ捨てをする人の人格や境遇に原因があるとする「ポイ捨て原因論」であると考えます。

すると解決策としては、ポイ捨てをする人に、「ポイ捨てをやめてください」と伝えることになります。しかし、個人の意識を変えることはとても難しいですよね…。意識に対しての啓蒙は大切ですが、見知らぬ人に注意をして、トラブルになってまうこともあります。


そこで、「ポイ捨て機会論」を考えます。ポイ捨てをする人がいる、のではなく、人がポイ捨てをしてしまう、という捉え方です。

この焦点の当て方をすると、解決策は、人々がポイ捨てをする機会を作らないことになります。

監視カメラの存在を示す、ゴミ箱を増やす、捨てたくなるようなゴミ箱を作る…等々といった解決策がありますね。意識を変えるよりも現実的に感じませんか?


そんな取り組みも行われているので少しご紹介します。


・遠いゴールの話

タイトルで述べている、ごみ拾いをしたくない、は惰性や怠惰ではありません。昨今のごみ拾いの活動は素晴らしいです。しかし、どれだけ優れたごみ拾いをするよりも、そもそもごみの落ちていない社会にすることが問題のゴールに近いのではないかということです。


こんな記事を書いてみましたが、一人ひとりのできることは限られています。まずはマナーを守って、ポイ捨てをしない、ごみが落ちていたら拾う。みんなが暮らしやすい街を作っていきたいですね。


(from SAKURAI)
1993年生まれ、兵庫県神戸市在住。社会福祉士。平成生まれのゆとり世代として、どうせ暮らすならいい世の中にしたいと思う。尿酸値は高め。

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このマガジンは、物事を社会福祉的眼鏡から覗きます。 見る角度が異なれば印象も意味も変わってきます。 我々は、あえて福祉という偏った見方をすることによって、 福祉的アプローチがあるという気付きの価値を振りまきます。 社会の問題に関心を持つ人が増えて欲しいという願い。

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