本物とリバイバルとカルチャーと

最近、「リバイバル」という言葉をよく耳にします。

厳密には数年前から聞くようになりましたが、代表的な例としては90年代のファッションなどがわかりやすいと思います。

©マイナビウーマン


簡単に言うと、re(再)vive(生きる)ということで、従来のカルチャー(にはとどまらない)が再び評価されることを言います。


これは、サンプリングオマージュパロディとは異なり、元ネタを用いて何かを創造するというよりも、そのもの自体を楽しむことを目的とされているように思います。

気になるのは、「〇〇風」ということでリバイバルっぽい印象を与えるものが増えているように感じます。


「純喫茶ブーム」というインスタグラムの弊害

純喫茶とは元来、酒類を扱わないお店のことを言いますが、ここでは年季の入った昔ながらのお店と認識します。

僕も好きで、コーヒーを飲みながら読書をしたり、軽食を摘んだりしますが、その飾らない店内を「レトロ」と解釈されれば、一瞬でkawaiiカルチャーの仲間にされてしまいます。

それが悪ではないですが、店が想定していない角度から集客があると言えます。

もちろん、お客さんが入ることに越したことはないですが、恐らく何十年も通っている所謂「常連のおじさん」(ここではわかりやすいようにステレオで男性名称にしています。この一言がないことで炎上している人を見たことがあるので。)が入れないシーンに幾度となく遭遇しました。

その時の言い表せない複雑な感情こそが僕が抱く違和感なのかもしれません。

ただ新聞を持ってコーヒーを飲みたいだけのおじさんと、綺麗な写真をインスタに上げたい女の子。当然、客としての優劣はないですが、おじさんにコーヒーでも飲んでもらいたい恋持ちがあるのは、僕がおじさん予備軍だからでしょうか。

COFFEE HALL くぐつ草は、昭和54年春に開店しました。まるで洞窟のような不思議な空間が広がる店内は、街中の喧騒を忘れさせてくれます。最高の喫茶店。©くぐつ草


「〇〇っぽい」という偽物のような評価

そのもの自体の価値を評価せず、何か既存のものにカテゴライズする動きは良いと感じられません。

何かに似ていたとしても、似ているだけであり、その物の良さがあることを認める必要があると思います。


70年代に勃興した音楽ジャンル「シティポップ」は、都会的な雰囲気を持つコンテンポラリーな世界観が魅力でした。

荒井由美(松任谷)やオメガトライブ、田島貴男に佐野元春などが挙げられる。

最近でははっぴぃえんどや山下達郎が主だとする見解が多いが、当時はそこまで結びついていなかったという。

そのような音楽も当時は「軟弱ポップ」「まるでBGM」と評されていたと言うので、全時代で優れているわけではない。


現行だと、サチモスやnever young beach、DANなどがシティポップと言われることがある。音数が少ない=シティポップという安易な発想ではその先の楽しみにたどり着けないのではないだろうか。


どの時代にも良さがあり、昔の時代がよく見えるのは、ウディ・アレンの「ミッドナイトインパリ」を観ればわかることでしょう。

時代性を踏まえることは文脈的な意味で大事なことであり、楽しめるポイントでもあります。が、その先にあるのは、そのものが良いか悪いか判断できる審美眼なのではないでしょうか。


今週の一曲

杉山清貴&オメガトライブ / サマー・サスピション



(from INO)

1992年生まれ、東京都在住。社会福祉学、統計学を専門とする。世の中の事象を社会福祉の目線から観察し、社会に貢献する機会と転職の機会を伺っている。最近は盆踊りを踊りすぎて翌日の仕事を休んだ。


ShearOnline

このマガジンは、物事を社会福祉的眼鏡から覗きます。 見る角度が異なれば印象も意味も変わってきます。 我々は、あえて福祉という偏った見方をすることによって、 福祉的アプローチがあるという気付きの価値を振りまきます。 社会の問題に関心を持つ人が増えて欲しいという願い。

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